「供述によるとペレイラは……」感想備忘録(2020)
海外文学・ガイブン Advent Calendar 2020
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12/23に文章を寄せさせていただきます。
今年一番心に残った本のアントニオ・タブッキ著 須賀敦子訳の「供述によるとペレイラは……」について書こうと思います。自分が2020年にこの本を読んだことを忘れないようにするために。
1938年のポルトガル、リスボンの小さな新聞社の文芸欄を担当するペレイラは、たまたま手元にあった雑誌に掲載されたリスボン大学の卒業論文を見つける。生と死について書かれたその論文の一部を無意識に写していたペレイラは、論文の著者であるモンテイロ・ロッシに電話をかける……コラムを担当する契約社員にならないかという勧誘のために。
この物語に出てくる主人公のペレイラは中年の男性です。心臓病を患った肥満体の男性で、自分の肉体をあまり好きではない。妻を亡くしてから、じぶんは生きているふりをしているだけなんじゃないかと思っているような男性です。彼と病弱な妻の間に子どもはいませんでした。
モンテイロ・ロッシは若い青年、彼が連れてきた若く聡明な女性はマルタ。青年を見てペレイラはかつての自分を想起し、若い女性とダンスをしながらどうして自分と妻の間には子どもがいなかったのだろうということを思います。そしてマルタは政治の話をします。反体制的な話を。ペレイラはそのような話を好みませんでした。彼はあまり政治に深入りをしたくなかった。1938年のポルトガルはファシズムの影が忍び寄る時代だったから……
物語の中でペレイラは、何度もモンテイロ・ロッシを無意識に助けてしまいます。彼は面倒なことを避けよう避けようとずっと思っているのに、反体制的な思想で書かれた原稿を持ってくる自分の(彼と妻の間にもし子どもがいたとすれば)子どもぐらいの年のモンテイロ・ロッシを突き放すことができない。それはどうしてなのか。ペレイラは自分自身でもその理由がわからないのです。
モンテイロ・ロッシは言います。「こころの命じるままにやってしまった」と。
休暇をとり、旧友とポルトガルの世情について話をするペレイラは、自分自身が持つ今の社会への恐ろしさや危機感について語ります。しかし大学教員をしている友人は取り合わない。すべて、このままでいいんだ。大目に見ようよ、と返す友人に対し、ペレイラはなおも食い下がります。
「ぼくは自由でなければならないし、人々にただしい報道をつたえなければならない。」と。
ペレイラの中にもずっとその思いがあった。彼はモンテイロ・ロッシに手を差し伸べざるを得なかった。彼のこころは命じていたのです。
カルドーソというひとりの医師との出会いが更に彼のこころを解き放っていきます。哲学者医師のテクストを研究していたというカルドーソ医師が支持する学説にペレイラは心惹かれていきます。
たましいの連合。
カルドーソ医師は、ペレイラのこころの中に浮かび上がろうとするもの、主導的エゴを見守ればよいとアドバイスをします。
「これからは、ごじぶんの人生がこれまでのように役たたずだとは思わなくなるはずです。もし、あなたの主導的エゴのいうなりになる気持がおありなら。そして、その苦しみを、食物や、砂糖をいっぱい入れたレモネードに代行させないように。」
やがて彼に、自分自身のたましいの連合に命令する主導的エゴと相対する時が来ます。それは孤独の中で行われ、今までと、そしてこれからを恋しく思う瞬間なのでした。
そして、物語の終盤、ペレイラは社会のうねりの中に巻き込まれていくことになります。
……
本当に大切なものについて書こう。本当にしなければならないと思うことを、そのたましいの導きに従って為そう。この本はあまりにも今の時代に近い気がする。そう思うからこそ、ペレイラの取った選択を、私も取りたい。この本こそが私にとってのカルドーソ医師なのだと思った読後感を大切にしていきたい。本を読んできたこと、勉強してきたことを、なにかするときに使うのだ。なにかしなければと思うときに。たましいに従って、たましいの望むままに。